【取材レポ】歴史ある町を大切に繋いでいく上白根囃子保存会

ある日の買い物帰り、トントントン・・・・・と聞こえてくる「お囃子」のリズム。

お祭りの時や、お正月には欠かせないこの音。知らぬ間に聞き覚えのある音楽の一つではないだろうか。

お囃子の語源は、映えるようにする、ひきたてるという意味の「はやす」から出た言語なのだそう。
お祭りに花を添える、非常に重要な歴史ある音楽である。

今回は、お祭りには参加していたものの、幼少期から憧れであった
横浜市旭区の「上白根囃子保存会」の方から貴重なお話を取材という形で聞かせていただいた。

始まりは明治末期。村の青年たちがお囃子の練習をした事がきっかけに
戦争で一度は中断されたものの、昭和24年頃に
お囃子を絶やしてはならないと地元の有志が集まり、上白根囃子連として発足。

昭和62年に子供会を通じて、その頃の子供たちが青年に成長し、歴史のタスキを繋ぎ続け
その後、平成7年に横浜市の無形文化財保護団体に認定され、名前を「上白根囃子保存連」から「上白根囃子保存会」に改め、現在は十数名で活動。(令和5年2月現在)

主な活動は、1/5-6にかけて、町内約100件もの家庭を訪問する獅子舞と二月の旧暦の立春の近くに行われる祈年祭、秋の例大祭での式典(旭鎮守八幡神社と一年交代で奉納)、地域の小学校への体験学習や、高齢者施設への慰問まで幅広く活動されている。

お話をしてくださったのは、長年この囃子保存会を見守り、育ててきた新井サヨ子さん(77)。
「小学校での体験学習の時には、「おばあちゃーん」と、子供たちから声を掛けられたり、高齢者施設へ慰問に行った時には、涙を流して喜んでもらえる事が生きがい」と、十に満たない歳の子に、和紙を重ねるように時間を掛けて継承し、週に1回、毎週水曜日の夜7時から9時まで毎週毎週…それを何十年も続けているとのこと。
飽きさせないように緩急をつけ、時に真剣に。笑いも涙も交えた途方もない長い練習の積み重ねが、今まで何気なく聴いていた音色には詰まっていたことをその時初めて知った。

どんな練習をしているのかとても興味があったので、今回は練習を見学する機会もいただいた。


3月、夜風に少し寒さが和らいできたある水曜日。
上白根稲荷社に夜7時から…という事で、15分前に行ってみるも。車もないし、人気もない。
暗くなった神社に一人で出かけた事は、なかったので 灯りでボゥッと浮かび上がる境内を眺めてすごしてみた。階段を上がる時にすれ違うお稲荷さんに挨拶してきたから、きっと見守ってくださるだろうと心細さを閉じ込めて、待ってみる事に。

 

するとじきに表れたのは、一台の車。小さい男の子とママさん。
それからすぐにもう一組の女の子とママさん。

普通の習い事に来ている親子連れの感じ。
若いママさんたちも多く、 「だって、毎週連れてくるからね」と笑う。

いざ、練習開始。

大きい流派でいうと日本で三つあるうちの「神田囃子」の一つなのだそう。
譜面が特にあるわけではなく、基本の刻み“スコトントン”と口伝えで、集まった人数でまる座に座り、古いタイヤにバチでリズムを刻む。ちびっこたちの真剣な顔を見て、耳をすませながら、すごいなぁ、よく覚えたなぁと感心した。

基本姿勢は正座。肘を軽くまげてひざにつかないように軽いタッチでトントントン…と跳ねるように叩く。
5~6種類のリズムを繰り返していくのだと教えてもらった。

身体で覚えたら簡単だからできるようになるよーと皆さん笑っているけど、

いやいやいや・・・、見ている限り、私全然覚えられる気がしない。
聞いているのは心地よくて楽しいけれど、やるとなったらパニックになる自信がある。

「お囃子に入りたいをきっかけに入る子はそんなに多くないよ!」と笑って話をしてくれた皆さんは、「自然と身体で覚えちゃうから。」そう言えるほどの時間を費やしてきている。
現に人前でしっかり演奏できるようになっている女の子は、ママさんと合わせている様子を見せてもらったがお互い、阿吽の呼吸で合わせていて演奏中、言葉がなくても通じ合っている。それがまたカッコいい!痺れる!

子どもたちが飽きてきたら、休憩をはさんで。
合間には差し入れを持ってきてくれる方がいたりと、
親と子だったり、先輩・後輩であったり、地域の人同士の触れ合いが コミュニティとして成り立っていていいなぁと、とてもうらやましく思った。


祝い事には欠かせない獅子舞も見せていただいた。

獅子舞の起源はインドと言われ、その後中国にわたり日本に入ってきたと言われ(諸説あり)
獅子舞のモチーフとなっているのはライオンと伝えられている。
インドの遊牧民族がライオンを霊獣や神として崇めており、ライオンを模した舞を踊るようになったのが、原型と伝えられており
日本では、16世紀ごろに伊勢の国(現在の三重県あたり)で飢饉や疫病などを追い払うために獅子舞が行われたのがはじまり。
その後、悪魔祓いをする縁起のよいものとして定着し、祝い事や祭り事などで獅子舞が行われるようになったと言われている。

左の獅子舞が一番年代を重ねていて、近くで見させてもらうと傷も多い。
「直し直し使っているんだよ」と、話を聞かせてくれたのは、高橋則雄さん(45)小学三年生から始めて36年。新井さんの次に長く続けている方。

獅子舞の耳には座布団が挟まれていたのは初めて知った。
顔を並べてみると、表情もみんな違う。マジマジと目の前で獅子の顔を見るのも初である。

幼ない頃、獅子に噛まれると縁起がいいのは知ってはいても、なんとなく“恐れ多いモノ”だった獅子舞。
実際に話を聞かせてもらい、近くで見せてもらう機会があると親しみの気持ちがジワジワと湧いてきた。

演奏で使われてきた笛も出してきてくれ、持ち主が亡くなった笛も大切に保管されていた。
丁寧に手入れされている様子を見ていると、お囃子保存会を残さねばならないと、行動を起こした人達の魂は今も生きているのだなと強く感じる。

「伝統」という名前におののいていたけれど、みなさんとても親切でアットホームで和やかな時間であった。
もちろん、真剣なシーンはしっかりと。ただ、厳しいだけでなく、そこに集まる意義も込めて、子供から大人までが集まる素敵な地域コミュニケーションの場であった。

また、この音色がなくならないように、練習に使われているタイヤも地域のお店からの提供であったりと、支えている方たちも存在している。
旭区内で、お囃子が徐々に減ってきている中、上白根地区の結束はとても強いのだと痛感した。

「イチからちゃんと教えてやるから!やってみなよー!と帰り際、言っていただいたが、今更子供たちの物覚えのスピードについていける気は到底しない・・
けれど、チャレンジしてみようかなと思わせてくれる保存会の方々の人柄や、温かい空気が取材の最後にあった。

この空気こそが、今も尚、強い結束で、この地域の伝統を継いでいける一番の理由なのであると私は思いながら取材を終えたのであった。

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